ホームその他 > 奥浜牛

  • その他
  • 人物
  • 調査番号:009-00000054
  • このページを印刷

奥浜牛(おくはまうし)

明治9年(1876年)、粟国村宇西(屋号ダイジ大ヤー)で生まれる。兄弟が多く貧しかったので、年頃になると出稼ぎのため、久米島仲里村真我里に行き、同所で妻子ができる。明治38年5月26日、那覇市に住み、山原船(宮城丸)に乗り込み雑貨を積んで宮古へ売りに行く仕事をしていた若干29歳の青年だった時、ロシアのバルチック艦隊の40隻余りを慶良間島と宮古島の中間位で発見し、宮古島の漲水港に入港して島庁に報告した。

基本情報

カテゴリ その他 :人物 時期 新暦:
開催地 発祥時期 時代・年代: 不明  
参考文献 粟国郷友会創立50周年記念誌「絆」

概要

明治38年5月26日、日本海海戦に向かうロシアのバルチック艦隊の進行を最初に発見した人物である。

『人物 』の収蔵品

タグ

         

ホーム歴史 > 奥浜牛

このページのTOPへ