18歳の頃、島の番所では首里に送る奉仕の人選をしており、文句なしに選ばれ、しかも格式の高い時期国王がいる中城御殿に配置されたことから期待以上の人物と思われた。首里城下の中城御殿で奉仕の仕事をしながら自力で学び、実力を発揮して才能が評価されるようになった。29歳には首里那覇に移住禁止令がある中で王府から奉仕により首里に移住許可となる。40歳には中城御殿・儀者大筆者、大屋子に抜擢され躍進した。大屋子の位は筑登之親雲上と敬称され黄冠を授かった。この昇進は、身分そのものの最高位であり破格の大出世とされている。