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1659年、粟国島地頭代・与那城は王府から預かった流罪人が畑のことで文句ばかり言い口論が続き、百姓達もみんな困っていた。与那城は、お役人の景條様へ相談したが乗ってくれずと失望した。そこで与那城は、次の手段を考えて実行した。彼は、知恵を絞り書けるだけの文章も作り、首里王府の奉行所へ直訴することに成功した。僻地の一番地代から正当な申し出を受けて驚いたお奉行様は、景條を罰し、言い訳もできない景條は粟国島の政治を首になった。
堂々と首里王府の奉行所へ直訴する実力者の粟国のリーダである。
雲水和尚
新里有一郎
屋宜宗一
伊佐三郎
粟国島の魅力と歴史を学ぼう!
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