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与那城筑登之(よなしろちくどぅん)

1824年から1827年まで兇作の年が続いただけでなく、天然痘が流行して働く能力のある人も多数死亡、貧窮の曲に達した。首里王府の関係機関は八重村(現在の西村)の与那城筑登之ら9名に命じて窮民を救助させた。その救助費用に使った金額は1890貫文で、1829(尚育王26年)年に八重村の与那城筑登之等の善行を奨嘉し、彼ら9人に各中二端ずつ賞賜したということである。

基本情報

カテゴリ その他 :人物 時期 新暦:
開催地 発祥時期 時代・年代: 不明  
参考文献 粟国郷友会創立50周年記念誌「絆」

概要

兇作や天然痘の流行の折、窮民を救助するのに多額な予算を出した、該島八重村(現在の西村)に住んでいた金持ち。

『人物 』の収蔵品

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