大山在番の指揮を仰ぎつつ、松の造林を焼き払ったという免罪で粟国島へ終身流刑に処されたが、その後、事件の真相が明らかとなり久米島へ11年の流刑に減刑された役人。その流刑中に詠まれた詠嘆詩に八重山民謡「いやり節」がある。“いやり”とは伝言のこと。無実の罪を訴え続け、この天地に、神、仏はいないだろうか、雲よ、風よ、遠い八重山の父母兄弟に、冤罪であることを告げてくれ頼む。このように悲観と煩いの中に沸き来る涙は袖の乾く間もなく、その焦がれる胸中の炎は押さえがたく、ついに張り裂けてしまい「詠嘆詩」となり、「いやり節」という名曲ができあがった。