粟国親雲上景條(アグニペーチン)は、首里王府から地方に派遣され、崇禎11年(1638年)から、粟国島仮在番を勤め、粟国の行政指導を行っていた。順治元年(1644年)12月に粟国地頭職になると、順治16年(1659年)にヤマトの流罪人前田と与那城大屋子(ウフヤク)が畑地のことで争論したが、景條は二人の争いを首里王府に報告しなかったことから、法に触れたとして地頭職を除かれた。
カテゴリ | その他 :人物 | 時期 | 新暦: |
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開催地 | 発祥時期 | 時代・年代: 不明 | |
参考文献 |
粟国郷友会創立50周年記念誌「絆」 |
粟国島の仮在番や地頭職を勤めた人物で、最後は法に触れたとして首里王府の奉行から地頭職を除かれる。