検地とは、田畑を調査・測量し一反ごとに区別し確定させていくこと(段別)。琉球において検地が行なわれたのは、慶長15年からである。島津氏は竿入奉行伊知重房等14人、役人168人を派遣し、地方の村立段別及び石高を定めた。そして翌16年5月には検地を完了させ、検地帳270巻あまりを作成し、琉球王国の石高8万9,086石を定めた。寛文12年の粟国村の割当ては、耕地面積400町歩、穂高727石。
慶長15年から始まった検地のこと。翌年5月まで島津氏を中心に検地が行なわれ、検地帳270巻あまりが作成された。粟国島の割当ては、耕地面積400町歩、穂高727石となった。