旧藩時代 | |
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1429年 (正長2年) | 尚巴志による三山統一 第一尚氏王統はじまる |
1469年 (応仁3年) | 金丸が王位に就き尚円と名乗る 第二尚氏王統はじまる |
1603年 (慶長7年) | 徳川家康が江戸幕府を開く |
1609年 (慶長14年) | 島津氏の琉球侵攻 |
1611年 (慶長16年) | 番所が浜に設置され、初地頭代が任命される |
1644年 (寛永21年) | 烽火台が置かれる |
1713年 (正徳3年) | 那覇の富村親雲上が来島し、桑の栽培、蚕の飼育、生糸・絹糸の生産を指導 |
1725年 (享保10年) | 在番が置かれる |
1733年 (享保18年) | 夫地頭が置かれる |
1737年 (元文2年) | 八重村と浜村を新設 |
1739年 (元文4年) | 検者が置かれる |
1824年 (文政7年)~ | 凶作が続き、島は飢饉状態となる[〜一八二七年(文政十年)まで] |
1829年 (文政12年) | 飢饉の際に善行のあった八重村の与那城筑登之ら九人、王府より褒嘉を受ける |
1847年 (弘化4年) | 異国船来島、二十三人の乗組員が島へ上陸し、食糧等要求 |
1867年 (慶応3年) | 大政奉還 |
1868年 (明治元) | 明治政府樹立 |
廃藩置県後~大正 | |
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1872年 (明治5年) | 琉球藩設置 |
1879年 (明治12年) | 廃藩と同時に八重村は廃止、新たに西村、東村を設置 |
1882年 (明治15年) | 久米島役所所轄から那覇役所所轄となる |
1896年 (明治29年) | 那覇所轄から島尻郡へ編入 |
1897年 (明治30年) | 「沖縄県間切島吏員規定」により、地頭代以下廃職、島長、収入役、書記が置かれ、番所が役場になる。初代島長に初代島長の與那城菊太郎氏鰹漁業始まる(沖縄初) |
1898年 (明治31年) | 粟国尋常小学校児童生徒三十五名で授業開始 |
1902年 (明治35年) | 製糖業始まる |
1903年 (明治36年) | 土地整理完了。 西村、東村、浜村が廃止、区制施行され、字西、字東、字浜と改称される |
1905年 (明治38年) | 粟国出身の奥浜氏がロシアのバルチック艦隊を発見、宮古署へ連絡する |
1906年 (明治39年) | 粟国郵便局取扱所が設置される |
1907年 (明治40年) | 無集配請負制度による三等郵便局設置 |
1908年 (明治41年) |
沖縄島嶼町村制により粟国村となる 初代村長に初代島長の與那城菊太郎氏 |
1914年 (大正3年) | 字浜西組鰹漁組合を組織 |
1915年 (大正4年) | 字浜東組鰹漁組合を組織 |
1916年 (大正5年) |
新小学校令により高等科を併設、粟国尋常高等小学校となる 字浜西組鰹漁組合、字浜東組鰹漁組合が解散 |
1920年 (大正9年) | 一般町村制が施行され、村長は初めて議会で選出される |
昭和 | |
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1935年 (昭和10年) | 農業会設立 |
1938年 (昭和13年) |
農業組合設立 粟国尋常高等小学校が瓦葺校舎となる |
1941年 (昭和16年) |
国民学校令により粟国村国民学校となる 無集配請負制度改正、特定局となる |
1943年 (昭和18年) | 無線電話開通 |
1944年 (昭和19年) | 巡査駐在所設置、初めて巡査が赴任 |
1945年 (昭和20年) |
三月二十三日最初の空襲。六月九日米軍上陸 沖縄戦 終戦 粟国初等学校設置 診療所設置 |
1946年 (昭和21年) |
軍政府任命により村長に末吉達幸氏が就任 村政委員十二名選出 |
1948年 (昭和23年) |
地方自治法の施行に伴う、村長選挙、村会議員選挙実施 学則改正により小中学校併設の粟国小中学校となる |
1950年 (昭和25年) |
各字に井戸を掘らせる 琉球政府警察管内粟国巡査駐在所設置 |
1951年 (昭和26年) | 粟国村養蚕組合へ組織替え |
1952年 (昭和27年) | 小嶺重亮氏所有の舟艇を村が買い上げ陽久丸と命名 |
1954年 (昭和29年) | 郵便局に無線電信設置、電報取扱い開始 |
1956年 (昭和31年) | 親子ラジオによる村内放送開始 |
1957年 (昭和32年) | 字東に機械動力による製糖工場設立 |
1959年 (昭和34年) |
粟国観測所置かれる 字浜に機械動力による製糖工場設立 |
1960年 (昭和35年) | 沖縄本島より保健婦派遣 |
1963年 (昭和38年) | 農産漁村電気導入促進法により発電能力五十キロワットで事業開始 |
1964年 (昭和39年) | 桟橋完成 |
1965年 (昭和40年) | 無線電話開通、磁石式電話による通話開始 |
1967年 (昭和42年) | 新造客船を購入 |
1968年 (昭和43年) |
小中学校の校地拡張、運動場ができる 粟国村保健婦駐在所建設、移転 |
1970年 (昭和45年) | 診療所改築 |
1971年 (昭和46年) |
二十四時間電話が通話可能になる 村民集会所会館 |
1972年 (昭和47年) |
村役場庁舎完成 郵便局舎完成 沖縄が日本に復帰 |
1973年 (昭和48年) |
粟国村立幼稚園開設 長さ八十メートルの桟橋完成、満潮丸が初めて接岸 |
1975年 (昭和50年) |
簡易水道完成 任意漁業生産組合を組織 |
1978年 (昭和53年) |
粟国島灯台業務開始 粟国空港開港、那覇-粟国間に南西航空(DHCI6)が就航 |
1979年 (昭和54年) |
電話ダイヤル化 中央公民館完成 |
1983年 (昭和58年) |
防災行政無線導入 離島総合センター完成 |
1984年 (昭和59年) | 新造船フェリーあぐに就航 |
1987年 (昭和62年) | 海水淡水化工場完成 |
平成 | |
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1989年 (平成元年) | 南西航空に代わり、琉球エアコミューター(アイランダー)が就航 |
1999年 (平成11年) | 映画「ナビィの恋」粟国ロケ |
2000年 (平成12年) |
電話回線ISDN化 フェリーあぐに、月・木曜日運航からから毎日運航へ |
2001年 (平成13年) | 海水淡水化施設(日量六百トン)完成 |
2002年 (平成14年) | 新造船フェリー粟国就航 |
2004年 (平成16年) | 焼却施設「美ら島あぐにクリーンセンター」稼働 |
2006年 (平成18年) | 電話回線ADSL化 |
2009年 (平成21年) |
琉球エアコミューターに代わり、第一航空 (アイランダー)が粟国-那覇間に就航 |
2010年 (平成22年) | 一般社団法人粟国村観光協会設立 |
2012年 (平成24年) | 粟国島パークゴルフ場オープン |
2014年 (平成26年) | 可倒式風力発電施設が営業運転開始 |