ブックタイトル広報あぐに12号
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広報あぐに12号
広報あぐに平成13年2月リレーエッセイつれづれ函館ー粟国を結んだ赤い糸平成七年二月、生まれて初めて沖縄の地を踏みました。この一歩から粟国での“第二の人生”が始まるとは、私自身思ってもいない事でした。きっかけは、新聞の求人広告。当時ゴルフ場のキャディーをしていた私は、冬だけの短期間のアルバイトを探していました。偶然見つけた製糖工場のアルバイト。沖縄県粟国島?聞いたこともない地名に早速地図を調べてみるが、地図には載っていません。けれど、一度は行ってみたいと思っていた沖縄に行けて、しかもお金がもらえるなんてラッキーだと思い、母に相談してみる。「いいんじゃない。ついでに結婚相手でも見つけてきたら?」の一言に製糖工場のアルバイトを決めたのです。製糖工場のアルバイトが始まってからは、民宿と工場の往復のみ。そんなある日、民宿の方が「島の若いのが、体育館で時々バレーボールなんかやってるから、遊びに行ってみたらいいさ。」と教えてくれたので体育館をのぞきに行き、そこで未来の夫となる人と知り合いました。そして何度か一緒にバレーボールをしたり、みんなでお酒を飲んだりするうちにお互い惹かれあい、将来一緒になりたいなという気持ちが芽生え、楽しい時間はあっという聞に過ぎて行きました。製糖工場のアルバイトが終わり、私は一度函館へ帰る事になりました。やり残したことをするためと、両親に結婚の意志を伝えるために…帰ってすぐ母に粟国の人と結婚をしたいと言うようなことを告げ、二?三ヶ月後には沖縄に行きたいと相談してみました。実際、面識もなく(彼の写っている写真は見せたけど)娘である私の話を問いただけにもかかわらず、母は「最初沖縄でアルバイトをしたいって言ったときに、何となくそうなりそうな気がしてたけど、まさか本当に結婚相手を見つけて来るなんてねえ…一年位は仕事をしてお金を貯めてから一緒になりなさいよ。」と、すんなり認めてくれたのでした。父も「おまえが決めて、お母さんがいいと言うんだったらそれでいいんじゃないか。」と特に反対しませんでした。(今更ながら寛大な両親に感謝です。)そして同年七月、私は結婚の決意を胸に住民票とともに北国の函館から、南国の粟国島に再びやってきたのでした。最初の頃は、方言もわからない。食べ物に関しても、見たことのない食材をどう扱ったらいいかもわからない。戸惑うことだらけでした。生活の面でもそうです。今までは、お風呂といえば湯船に浸かり、ゆっくりと体を温めるというスタイルでしたが、こちらではもっぱらシャワーでサーッと体を流すというスタイル。なんだか落ち着かず、お風呂に入ったという気もせず、特に冬はお風呂にはいるとよけい寒くなるだけ。お風呂嫌いになりそうでした。(現在はプラスチックの浴槽を購入したので快適です。)粟国に嫁いで五年。少しずつですが、こちらの生活や食べ物にも慣れ、二人の子供にも恵まれ、粟国での生活を満喫しています。(雪が降らない冬というのは、少し物足りないですけど…)與那城典子フッ素塗布及び歯科往診のお知らせざは歯科クリニックでは、平成十三年二月より乳幼児及び小中学生を対象にフッ素塗布を無料にて実施します。(フッ素塗布の効用については、今月号掲載の「保健婦だより」を参照)ご希望の方は、お気軽に申し込んでください。また、体が不自由で来院の困難なお年寄りの方には、自宅まで出向いて治療を行いますので、保健婦又は直接ざは歯科クリニックまで電話でお問い合わせ下さい問。い合わせ先保健婦九八八ー二○二七ざは歯科クリニック九八八ー二○六四ざは歯科クリニック院長座覇守弘