平成25年度粟国村村勢要覧

平成25年度粟国村村勢要覧 page 13/48

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平成25年度粟国村村勢要覧

トゥージ運び水溜めのトゥージは、海岸で造ってですね、それを運んで来るときは、こういうふうにね、サバニとサバニの間にトゥージを挟んで浮かしてねえ、それで、大きいマーだき竹があるが、その大きい竹の棒を横っちょに組んで、それで挟んで港まで運んで来るわけですよ。また、陸上の運搬は、なにしろあれは、4トン、5トンもの大変な重さだから、片側には、前、後ろ両方とも10名、両側では、大体全部で60名くらいの若い者で持ちますねえ。そのときには、向こう鉢巻きをした、元気のいい女の人が、その出来上がったトゥージの中に入ってよ、運ぶ人に元気をつけるために、石油罐を持って、太鼓の代わりに、バンバン叩いてね、イヤハヤー言うお囃子に合わせて、歌っていたよ。それが家に着いたら、家では、運んだ人に酒小(さきぐわー)飲まして、肴を出して祝ったものでしたよ。西、東の部落はねえ、あのセンターのところのチカノーの坂を登って運んで行くんですから、向こうまで運ぶのは、ひどかったですねえ。今は、あの坂は、ちょっと低くなっているのだが、昔は相当急な坂になっていたんですから、人手がよけい要りよったですよ。昔の人は、トゥージ以外に水を溜める物がないから、これに大切に水を溜めて使っていたんで、それを造るのは、一生かけての仕事であったんですよ。だから、どんな坂道でも運んで行きよったですよ。だから、このトゥージは、どの家に行ってもあるわけです。また、大きさでそこの家は、昔余裕があった家だとか、貧乏だったということが、たいがい分かるんですよね。このトゥージは、長男にしか譲らなかったそうだからねえ、次男、三男は、自分で造るしかなかったんです。私の青年時分からは、コンクリートのタンクが出来てるから、トゥージは、造らんでしょう。だから、造って運ぶのを見たのは、もう私たちが子供の頃に2、3度見ただけでね、家に届けられると、酒、肴でもてなして、喜ぶのを見ただけでした。普通は、次男はもらえんが、私の家のトゥージは、長男が那覇におるからね、親父に、「これはわしが、大切に保管するからもらいましょうなあ」と言って、次男の私がもらってきたんですよ。長女が嫁いだ家には、これより大きい、いいのがあるよ。あれは、割れていますから、近いうちに修繕しようと思っているところです。1トゥージ・・・凝灰岩で造った天水溜。粟国島は、水が少なかったので、天水をトゥージに溜めて使うことが多かった。2サバニ・・・小型の漁船。3マー竹・・・真竹。竹細工などにも用いる。4西、東の部落・・・字浜は海岸近くにあり、運搬が楽だったが、アギ(陸)と呼ばれ、丘の上にある西と東は、運搬が大変だった。5センター・・・粟国村生活改善センター。浜から西、東に運ぶ途中にある。6チカノー・・・字浜と字西、東の間にある切り通しの道。※いずれも『粟国島の民話』(粟国村教育委員会発行)より転載11